ドラゴンボールのスマホゲームのブッチギリマッチのサービス終了が発表されました。
私はサービス開始からプレイしていたのですが、限界突破の為に天下一をひたすら回すという作業ターンに入ってからはログインが徐々に減り、最終的にはやめてしまいました。
やめてはいたものの、どこかのタイミングでアプリ化などのテコ入れでリニューアルなんて夢も描きつつ期待はしていたのですが、ついに力尽きてサービス終了のアナウンスがされてしまいました。
サービス終了の報を受けて、SNSでは「クソゲーだから仕方ないね」みたいな書き込みを既に何件も見てます。
それら全ての発言が何をもってクソゲーなのか、何が気に食わなかったかが具体的に書いておらず、無責任にクソゲークソゲーと煽ってるんですよね。
個人的にSNSのこの手の発言は凄く嫌いです。
叩くことが嫌いなんじゃなくて、何が嫌だったのか自分の言葉でまとめてから叩きなさいよと思うんです。
私はブッチギリマッチは単に「クソゲー」の一言では片付けられないゲームだと思っています。
それらを踏まえて今回は私が思う、ブッチギリマッチの良かった点と悪かった点を自分の言葉でまとめてみようと思います。
目次
良かった点
サービス終了が決定してしまったブッチギリマッチですが全てが駄目だったというわけではありません。
読み合いがおもしろい点
ドラゴンボールファイターズをはじめとする格闘ゲーム含めて読み合い、駆け引きというものは多数のゲームに存在するのですが、ブッチギリマッチは読み合いに特化したゲームでした。
またアクション性を無くして読み合い特化にすることにより、複雑な操作が難しいスマホゲームとの相性も良かったと思います。
操作は単純であろうと、読み合いを制した時の爽快感は格闘ゲームでコンボを繋げた時の感覚にも劣らない爽快感でした。
この読み合いのかけ引きが非常におもしろかったです。
レアリティ依存しなかった初期のバランス
サービス中〜後期につれてはいわゆるレアカードの強さが目立ってしまいましたが、初期の頃は一番レアリティの高いURカードが入ってるデッキに対しても上手く立ち回ればRどころかNでも食えるっていう絶妙なバランスでした。
一般的なスマホゲームは課金至上主義なので、レアカード=最強という図式になりがちですが、ブッチギリマッチ初期には決してそれが当てはまるというわけではありませんでした。
残念なのはサービスが進むにつれ、ブッチギリマッチも課金至上主義になってしまったということですね…
イラストの出来は随一
※90年代のドラゴンボールの世界観そのもので素晴らしいです
イラストがとにかく素晴らしかったです。
上記のセルのイラストも90年代のアニメイトや文房具店に並んでいるドラゴンボールの下敷きを彷彿させるイラストじゃないですか?
これはスマホゲーム、コンシューマー、アーケード問わず、全ドラゴンボールのゲームをプレイしている私が言いますけど、イラストはブッチギリマッチが一番いいです。
このドラゴンボール最盛期である90年代のイラストを表現するのって凄く難しいんですよ。
新しいんだけど90年代って感覚が凄く不思議でファンとしてはたまらないんですよね。子供時代に戻ったみたいで私自身とても興奮しました。
細かいことなんですけど、本当にドラゴンボール愛がないとこれは描けませんよ。
ちなみにこのブッチギリマッチのイラストは絵が特徴的なので見る人が見たらわかるとは思いますが、本人が表だって発言していない(契約上言えない?)のであまり突っ込みはしませんが、ドラゴンボール界隈では有名な方が元絵を担当していると思われます。
イラストの構図やキャラクターの表情を見れば誰かピンとくる人は来るのではないでしょうか?
このイラスト達が無くなるのが勿体なさすぎますね…
正直、画集を出して欲しいぐらいなのですが…(笑)
それは難しそうなので、WEBのブッチギリマッチ情報局はそのままアーカイブとして残しておいて欲しいです。
悪かった点
ブッチギリマッチにはゲームとして致命的に悪かった点がいくつもありました。
初期手札で全てが決まってしまう運ゲー
カードゲームに運というものはつきものですが、ブッチギリマッチの場合はそのカードゲームの中でもぶっちぎってヤバかったです。
多くのカードゲームでは運の比重が結構な割合を占めると思いますが、ブッチギリマッチではそれが全てといっていいほどの割合でした。
その運というのが…初期手札で、自分が悪くて相手が良いとそれだけで勝負が決すると言っても過言ではないくらいです。
手札が2枚しかなくて、そのどちらかを選択するだけなので、相手の思考を読むなどのプレイングではどうしようもないくらいの差が1ターン目に運で決まってしまいます。
相手が何を出してくるかわかっているのに、こちらの選択権に限りがあるのでどうすることもできない、そんな状況に何度も陥りました。
操作を簡単にしてプレイのハードルを下げる狙いもあったのでしょうが、そもそも対人戦がメインとするゲームでこのようなゲームデザインにしてしまったのは致命的だったと思います。
その差を埋めるための限界突破という課金
その運の差を埋めるのは思考の読み合いよりも、途中で実装された「限界突破」という要素でした。
限界突破を行うと今まで上限が10だったレベルが15まで上げられるようになり、10とは比べものにならないほどのステータスになります。
また、所持スキルも別次元の強さになり、限界突破しているかしていないかで圧倒的な差が生まれてしまいました。
読み合いに勝ったところでこのステータスとスキルの壁に阻まれてしまうので本来の読み合い要素も薄れてしまったのです。
無料でコツコツと限界突破させることも可能でしたが、対人戦メインのブッチギリマッチにおいてヘビーユーザーは一刻も早く限界突破デッキを組まなければいけません。
その限界突破するための育成の時間短縮に用いられる手段が課金でした。
限界突破の有無で圧倒的な有利不利が決まってしまう問題は両者が限界突破して同じ条件になればフラットになるのですが、そうするとまた元の手札運ゲーに戻ってしまうのです。
そうすると、この限界突破って何のためのシステムだったの?ということになってしまいます。
つまりは限界突破システムは一部のユーザーから金を引き出す為だけに作られた安易な集金システムだったのです。
この限界突破が実装された時には既にプレイヤーが過疎化していましたし、最後に集金システムを作って一稼ぎしよう的な意味で導入されたシステムということがすぐに理解でき、このゲームは先が短いなと悟ってしまいました。
天下一の周回という作業の悪循環
途中から導入された天下一コンテンツですが、これがひたすらCPUを決して短くない時間、周回で攻略し続けるという、面白さゼロの完全作業コンテンツでした。
じゃあやらなければいいじゃないかと思うかもしれませんが、この天下一の報酬を使ってカードを限界突破させていくので、限界突破させるためにはやらざるを得ないコンテンツなのです。
限界突破システムのしわ寄せが天下一周回の苦行という道を作ってしまったのです。
過去のカードがゴミになる、デッキの自由度が低い
サービス開始直後はバーダックデッキ等を除けば、わりとカードをごちゃまぜにしてデッキを組んで楽しめましたし、そのごちゃまぜデッキで対戦にも勝つ事ができました。
しかし、サービス中~後期になるにつれ、「あるカードがあるならば、あるカードを入れなければ効果が発揮しない」系のカードがどんどん増えてきて、デッキ構築の自由度というものが極端に減ってしまいました。
対戦すればみんな完全に同じデッキばかりなのです。
また元々のデッキ枚数が少ないことから、新カードが出てその新カードで決まったデッキを構築してしまうと過去のカードの役割はほぼ無くなってしまうのです。
せっかく苦労して手にして育てたカードの価値が一瞬でなくなってしまうのはとても寂しかったです。
じゃあどうすればよかったのか?ゲームバランス崩壊の打開策案
崩壊してしまったゲームバランスですが、ではどうしたらよかったのでしょうか?
あくまでいちユーザーである私の個人的アイディアですが、私ならこうしたという一例を以下に記させていただきます。
すぐに思い浮かんだのが、ARの幅を増やすのとプレイヤーの手札枚数を増やして行動の選択権を増やすことでした。
行動の選択権が増えることで初期手札による事故が減りますし、相手がなにを出してくるのかの読み合いがより重要になっていきます。
そして、選択権を増やしてプレイングの幅を広げるのと同時に限界突破システムを廃止することでした。
また、過去のカードが必要じゃなくなる問題は、カード性能を見直すほかに複数のデッキを登録して遊ぶ団体戦的なコンテンツなどの導入で、過去のカードやデッキにも価値を見出すことができたはずです。
こうした手段は運営側も気付いていたかもしれませんが、根本的な作り直しが発生するので開発面でも資金面でも体力が持たなかったのかもしれません。
この致命的な問題が最初から最後まで続いてしまったのが残念でした。
ブラウザゲーとユーザー層の相性の悪さ
良かった点、悪かった点を言わせていただきましたが、それ以前の問題でこれがそもそも一番の要因だったと思います。
人が寄りつかなかった一番の理由がこれです。
「ブラウザゲームだったから」です。
まず言いますが、私はブラウザゲームに対するアレルギーはほぼありません。
理由は現在の技術のブラウザゲームで全画面仕様であれば操作感はストア上位に並ぶアプリと変わらないことができますし、よく言われる通信量もアプリと比較してもそんな極端にかかることはないからです。
また、ブラウザゲーム特有のメリットもいくつかあります。バージョンアップ不要なことや端末の容量を気にしなくて済むこと、シリアルコードを用いての自由なプロモーションなど、まだまだあります。
しかし、ユーザー層的には、決してそうではないのに「ブラウザゲー=無駄に通信量だけ食ってショボいゲーム」という意識が根付いてしまっているのです。
SNSでこのような誤認識・アレルギーがここまで広々と出回ってしまった以上、この認識を改めるのは今の時代ほぼ不可能です。
enzaはアプリとほぼ変わらずにゲームをプレイできる環境且つ、ドラゴンボールとアイドルマスターという強力なIPを投入してもブラウザゲーアレルギーは解消させることができませんでした。
制作側もこのアレルギーを把握しつつもドラゴンボールとアイドルマスターならなんとかしてくれるという思いもあったのかもしれません。
でも駄目でした。
この結果を踏まえて、ブラウザゲーはもうやめたほうがいいという答えが出てしまいました。
ここまで来るとゲームの出来云々ではなく、ユーザーのアレルギーが凄くて最初の導入の時点で大きく躓いてしまいます。
もっと言ってしまえばドッカンバトルもブラウザゲーがスタートでしたらほぼ確実に同じようなことになっていたでしょう。
ドラゴンボールに限りらず、アプリストアの上位に並ぶ他のアプリに関してもです。
もしもブッチギリマッチがアプリであり、多くのユーザーの手に触れられたのであれば、お金の流れは現在と比べ物にならないくらい大きくなり、もっと大きくゲームのテコ入れすることができたかもしれませんし、そのテコ入によってコンテンツが巨大化、リアルイベントとの連動など様々な夢が広がったことも考えられます。
そうしたことからも無念ではありますが、サービス開始時点で負けていたと考えられます。
今生き残っているブラウザゲーのラインナップを見てみると、SNS等を利用するユーザー層とは違った層に支持されていることがよくわかると思います。
つまりは属性に応じたプロモーションが必要になってくるわけです。
ユーザーのご機嫌を伺うというのも制作側からすると不本意かもしれませんが、今後はそうしたことも求められる世界になってくるんじゃないかと思います。
ブッチギリマッチはクソゲーだったのか?
※今までありがとう!ブッチギリマッチ
決してクソゲーというわけではなかったですし、ちょっとしたきっかけで良い方に化ける可能性もあった。
ブッチギリマッチはまさにクソゲーに転ぶか良ゲーに転ぶか絶妙な位置にいたゲームなんじゃないかなと思います。
私自身は前述のブラウザゲーとアプリについて書いた通り、アプリであれば違う結末になったのではないかと思っています。
ただ、ドラゴンボールほどの巨大なIPを扱うのはそんな簡単なものではなく、関連商品にシリアルコードを付けて販売するからアプリ化を避ける必要があったことや、ブラウザゲームのenzaの目玉として有名IPの力が必要で上から指示があったなど、多岐に渡る様々な外的要因もあったのだと想像できます。
そうしたことからも一番悔しい思いをしたのはユーザーではなく開発陣だった可能性もあります。
クソゲーと罵られていますが、ブッチギリマッチはただのクソゲーではなかった。
これは間違いないです。
開発チームが今どのような立ち位置にいて、どんな心境でいるのかはわかりませんが、もし「クソゲーだからサービス終了を迎えてしまった…」と落ち込んでいるのであれば、「決してただのクソゲーではなかったですよ」と声をかけたいです。
ブッチギリマッチという存在が次作に生かせるものであるのは間違いないので、次作がドラゴンボールであろうと、そうでなかろうと、ブッチギリマッチで培った経験と技術を次に生かして欲しいです。
次はきっと成功します。
まだ、あとサービス終了までは2ヵ月ほどありますが、ひとまず今までお疲れ様でしたということで本記事を締め括らせていただきます。
ありがとうございました!
コメント